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Home » 茶屋町の偉人「磯崎眠亀」 » 第二章 新小倉織機の発明第二章 新小倉織機の発明
帰る途中、小倉織のことを考え、大阪の問屋を数軒たずねた与三郎(元の名前)は、糸問屋、高砂屋長兵衛の家ですべすべした英国製の紡績糸を見つけました。
「これだ、この糸で小倉織を織ったらすばらしいものができるぞ。」
と、さっそくその糸を買い求めて郷里へ帰ってきました。文久2年(1862)のことです。
さて、いよいよ織る時になって困ったことが起きました。
よく調べてみると、外国糸はより方が反対なので、今までの織機にかけると糸がほぐれてうまく織れないのです。
「与三郎さんとはいっしよに仕事はできぬ、唐人の糸が使えるわけがない。」
とてんで人は相手にしてくれません。生来の負けじ魂は研究心に火をつけ、新しい小倉織機の発明に取り掛かりました。仕事がむずかしければむずかしいほど、”なにくそ”とがんばり続け、翌年ついに新小倉織々機を発明し、美しい小倉帯地を作りあげ、人々をあっと言わせました。
この成功によって父の借金もいつしか返すことができ、長州征伐に出向いた戸川安愛に軍用はっぴ(羽織のようなもの)300人分を作って献上できるほどになっていました。
これをきっかけに、かれの発明心はつぎつぎと新しいものに目をつけ、一間幅のカヤ地を織ることに成功し、八畳敷いっばいの大敷物を作る織機も発明しました。